創価大学というところ
2011年 09月 14日
外の人はよく、学会員が行く大学とひとくくりにいうけれど、中に入ってみるとそんなに単純なものではない。
まずひとつの分け方としては、
①信心がある
②信心がない
の2つだと思う。
①はやはり学会員が多いので、信心がある、信心してる人が多い。
でも、この信心があるも、信仰があることと、学会活動に熱心であることとはイコールではない。
②は親学会だったし、他に大学受験しても合格できなかったとか、その理由はさまざま。
この①と②はさらに細分化される。
①の信心がある
1)純然たる信仰がある
2)信仰は薄いが学会活動に熱心
というもの。
②の信心がない は、
3)まったく関心がない(体育会系部活の人に多い気がする)
4)斜にみている、学会に疑問を持っている人
だろう。
キャンパス内では、創価学会用語や公明党用語も沢山出てくるが、
中の人間関係は、学会ということを除くと、普通の大学と変わりない。
恋愛、噂話、いじめ、喧嘩などもある。
創立者、池田先生のためというのは、ひとつの合言葉。
よく部活や寮生、自治会では「池田先生の弟子として」とかの話もでているみたいだけど、
実際、池田先生と直接お話した学生は、ほとんどいないわけだし、まあ、いってみればよく知らない偉い人という感じ。
昔の創大生のなかには、尊敬する人を池田先生というまでつるし上げたとか、そんな武勇伝をひっさげて本部とか聖教新聞に勤めた人もいるみたいだけど、今時はそんなこという学生は、「お前、大丈夫?」って感じ。
実際、本部とかに就職する人は、ちょっと世間とは違った価値観を持った人が多かったかな。
いってみれば「いい人」ばかり。
言い方を変えれば「創価学会にとって都合のいい人」ばかりといえばわかるかな?
創価学会と創価大学は、いろいろいう人がいるけれど、
これは創価学会の名誉会長である池田先生が創立した大学ということで、
創価学会とは別法人で別組織になっていたと思う。
創価学会から創価大学に誰か理事とか、偉い人もいると思うけど、学生にとっては、そんなの関係ねえ(笑)。
詳しい理由は忘れたけど、設立の順番か、何かで、学園といわれる東京の創価高校、大阪の関西創価高校も別組織になっていたはず。
だから学園(創価高校、関西創価高校)は付属高校ではない。
でも、学園から創大に進学する人も多い。
この学園から上がってくる人は、大学に入ってからも学園生とよばれる。
学園以外の高校から創大に入ってきた人は、とくに呼び方は私の頃はなかったかな。
強いて言えば普通の高校から、とか。。
よく付属高校以外の大学に入ってくる人を外部生という言い方をするらしいけど、創大に限っては、外部生というのは、非学会員、信心をしていない学生のことを指すと思う。
未入信者ということで、未入信の学生、未入信の人、そんな言い方もしてたかな。
でも、信心してる、してないは、あまり関係ない。
信心してても、いろんな人がいて、はっきりいって、創大は、東大蹴って入ってくる人と学園生、地元の進学校から来た人と、やっとこさどうにか入った人とでは、学力差が激しすぎる。
それがいっしょになるものだから、いろいろな人生のどんでん返しが潜んでいる。
まず1浪、2浪して、文系全学部を受験して、補欠ですべり込んだような人が、すばらしい高学力の先輩に感化されて、例えば勉強に目覚めて、司法試験や外交官試験に合格したという話も聞くね。
そういうところは創大のいいところ。
じゃあ、その逆は?
もちろんある!
地元の進学校とかで優秀だった子が、アホな学生、とくに組織とか女子学生部とかそんなところの先輩に感化されて、悩み、ちょっと心が疲れるとかね。
ただ、こういうのもせいぜい大学2年生の終わりまで。
大学3年生以上になると、女子も男子も、学会のほうの組織からは、あまり誘われなくなる。
就職活動とか、教員採用試験とか、自分のことで忙しくなるからでしょう。
今日は、ここまで。